長野県小谷村の白馬乗鞍温泉スキー場が5月、全長1,200mのリフトを新設することを発表しました。
同スキー場としては20年ぶりとなるリフト新設。架け替えではなく“新設”するのは全国規模で見ても珍しく、発表するとSNSを中心に話題となりました。注目された理由のひとつが、「標高差898m(ハクバ)のロングランコースが完成」と語呂合わせになっていたこと。しかし実はそのプレスリリース、後日訂正されています。
訂正の内容は、標高差898mは誤りで正しくは730m。さらに当初はリフト建設と並行して整備を進めていくとしていた滑走コースも、安全面を考慮して冬季ゲレンデとしての利用は現在未定ということに。
リフト新設の背景を知りたくて伺ったところ、取材を始めて5秒でそれが発覚。パウダースノーが滑れる! とワクワクしていた人たちにとっては、少し拍子抜けしてしまう発表にあれこれ憶測や推察が飛び交っていますが、その真相は……?
取材の趣旨を切り替え、実際のところどうなっているのかをお聞きしてきました。
※取材は2022年5月下旬、プレスリリースの訂正が発表される前に行い、本記事公開時点ではすでに訂正が発表されています
スノー業界を賑わせたリフト新設発表
取材に応じてくれたのは、白馬乗鞍温泉スキー場を運営する白馬アルプスホテルの旅行事業部に所属する前沢さん。広報も兼任し、あのプレスリリースを配信した方でもあります。前沢さんは5月にこちらに来たばかり。入社して一番の仕事がこのリフト新設の発表だったそう。
──白馬乗鞍温泉スキー場(通称:ハクノリ)のリフト新設発表、ネットでもかなり話題になりましたね。
はい、最近はリフト新設なんてそうそうないですから。架け替えでなく完全に新しくできるということで、やっぱり話題性が高かったんじゃないでしょうか。
──そうですよね。今日はその背景を伺いたくて来ました。
実はそれなんですが、訂正が必要になりまして。今回一番の目玉だった標高差のところが、スキー場のコースマップを見て計算したところぴったり898(ハクバ)mだったものでそう発表したんですが、改めて計算してみたところ全然違っていまして。正しくは730mだったんです。
──え。
さらに滑走コースなんですが、雪が降ってみないとコースがどう作れるのかわからない状態で。主にグリーンシーズンやバックカントリーのために活用するということではあるんですが、スキー場として滑走コースが作れるかは未定ということなんですよ。
──なんと……。
標高差に関しては、一般公開しているスキー場コースマップから計算してみたら898mと出て、これはすごい!奇跡じゃないか!と興奮してしまって。暗算できる数字なのに何度も電卓を叩きました。それで間違いなかったので出したんですけど、そもそも計算に使ったコースマップの標高表記がほぼ全部間違っていたという。
──ちょっと同情してしまいますが、なぜ間違っていたんでしょう?
標高表記には、もっと下まで滑れた頃の名残とか、いろいろ経緯があるんです。メディアの方からの指摘で発覚したのですが、だいたいの標高差を知っている内部の人たちからも「こんな数字になるはずはない」と言われました。私はこちらに来たばかりだったものですから、ひとつのマップの表記だけを見て出してしまったんです。本当にお詫びしなければなりません……。
──プレスリリースがこんなに拡散して話題になって、驚かれたのでは。
ここまで拡散されるとは全く思わず、びびってしまって……。こんな時期にスキー場の発表を出しても注目されないと思っていたので、まだ雪を求めている人がこんなにいるんだ、と驚きましたね。
前にいたホテルでもプレスリリースを出したことがありましたが、こんな反響があったことは一度もなかったんですよ。狭いスキー業界内だけでなく、話題ランキングがずっとトップで。喜んでいられたのも束の間、もっと慎重にやらなければいけなかったです。
滑れるかどうかは未定? 主目的はグリーンシーズン誘客
──標高差が898mではなかったのは仕方ないとして、滑走コースができるかどうか未定なんですか?
一番大事なのは安全面なので、専門家やプロスキーヤーの方が滑走できるように検討を重ねているところです。リフトを架けるために支柱を立てる工事だけでも地盤が若干影響を受けるので、そこへ雪が積もったときにどうなるか、今シーズンはテスト滑走をして検証して。
立入禁止にしても滑ってしまう人がいますので、22-23シーズンは一般客向けには動かさない可能性が高いです。スキー・スノーボードで滑れることを期待させてしまった皆様には本当に申し訳ないです。
──なるほど……。そうなると、リフトの用途はグリーンシーズンが中心?
そうなんです。書き方をもっと気をつけるべきでした。主な目的はスキーコースの延長ではなく、グリーンシーズンを視野に入れてのことなんです。もちろん冬季ゲレンデとしての活用も検討していますが、訂正時には写真も春のものに差し替えようかなと思っていて。
──雪の写真だと、滑るためのリフトだと思ってしまいますよね。
写真も変わってるじゃないか!ってまた怒られてしまいそうですね。エイプリルフールじゃないんだから、って。
──は、はい……。ではハクノリは今後グリーンシーズン観光を強化していくということでいいんでしょうか?
はい。今回新しく架けるのは、ゴンドラでも高速リフトでもなく、普通のペアリフトなんです。春〜秋の登山客の方などに、ゆっくりと景色を見ながら上がってもらうことを考えています。
一番の目的は、小谷村(おたりむら)の観光事業を盛り上げるということです。今も登山のお客様はたくさんお越しになりますが、かなり標高が高いので、リフトで一気に上がれると年配の方やファミリーにも小谷の自然を楽しんでいただきやすくなります。
白馬エリアのスキー場は冬のインバウンド客頼みだったところがあり、今はどこも厳しい状態だと思います。このままでは立ち行かない。期間としては春〜秋のグリーンシーズンのほうが長いので、今まで閑散期だったところを最大限活用していければ。ずっと先まで見据えた計画なんです。
──なるほど。総工費5億円という噂ですが、それも先を考えての投資なんでしょうか。
そうですね。このリフト新設の話は何年も前からあって、当初から通年営業を考えての計画でした。まだ言えないことも多いのですが、小谷村とも連携しながら、何十年も先を見据えて動いています。
「小谷の大自然を届けたい」 人口3,000名の村に賑わいを
「とにかく小谷村の発展が第一」と語気を強める前沢さん。小谷村は白馬バレーの中でも最北にあり、スキー場がある以外はかなり静かな田舎の村。村民の高齢化も進み、人口は3,000名を切ったそうです。この村を盛り上げたい、前沢さんがそう思うようになった背景を聞いてみました。
──前沢さんは5月に新任されたということですが、その前は何をされていたんですか?
北軽井沢のホテルで働いていました。以前の職場で一緒だった人の繋がりで、こちらにご縁がありまして。人材を探しているというので興味があって話を聞いてみると、小谷村の観光に対する熱い想いがすごく伝わってきたんです。
私は長野県のもっと下のほうの飯山市の出身なんですが、小谷村までは来たことがなくて。こちらに来て、あまりにも美しい大自然に感動しました。長野自体が自然豊かな県ですが、遠くを眺めたときにこんなに山々がきれいな場所はなかなかないです。
──小谷村に可能性を感じたと?
こんないいところないと思うんですよ。軽井沢も自然豊かでしたが、手つかずの自然という意味では、こちらは比べものになりません。
そんな恵まれた地域が、これから観光客誘致を頑張ろうというステージにいる。白馬の端っこで雪も深く、来るには少し大変なところですけど、力になりたいと思いました。もっと賑わってほしいし、ここの地域を好きになって定住してくれる人も増えたらいいと思います。
──住むにはなかなか大変なエリアですよね。
私も今、家を探しているんですけど、まだ見つかっていなくて。今は弊社のホテルに住んでいます。観光客が増えて移住を希望する人も出てくれば、そういう状況も変わっていくのではないでしょうか。
ハクノリが挑戦する、ありのままの自然を残す観光地づくり
前沢さん自身が、小谷村の大自然に魅了されているのが伝わってきます。白馬乗鞍温泉スキー場では5月20日に起工式を執り行い、すでにリフトの建設工事が始まっています。通年リゾートとして、どんな観光地を目指しているのでしょうか。
──ハクノリが今後目指していきたいポジションを教えてください。
山の上の風景をたくさんの人に見ていただけるリゾートにしたいですね。最近は山頂にテラスを作るのがブームですけど、そういうふうにはしたくないんです。ありのままの自然を楽しんでほしいので、極力何も作らない予定です。作るとしてもトイレくらい。飲食店や観光スポットもできません。
──するとターゲット層は、お洒落なカフェやアクティビティを楽しみたい若年層というより、年配の登山客やファミリーになるでしょうか?
もちろん誰にでも来てほしいですが、やはり小さなお子様を連れて山の中は登れないですから、そういう人たちにも気軽に自然を堪能してもらえるようにしたいです。
リフトを降りたらすぐ絶景が見られるのではなくて、少し山道を歩くと素晴らしい景色が現れる。上手く作られた人工的な空間ではなく、そういうちょっとした苦労の先にある感動なども含めて、自然そのままの山を体験できる空間にしたいんです。
──素晴らしいコンセプトです。
だから木の伐採もできるかぎりしない方向です。スキー場としての冬営業がまだ未知数というのは、そういう理由も大きいんです。雪崩の発生要因はさまざまですが、動物が一匹歩いただけ、木から雪の塊が落ちただけ、そういうわずかな力で自然は変化していきます。
人間が滑ったときにどれだけ耐えられるか、安全を保証できるまでにはどうしても時間がかかります。期待をさせてしまったのは申し訳なかったですが、ご理解いただけると嬉しいです。
──ありのままの自然を相手にしているからこその判断なのですね。もう工事は始まっているんですよね?
はい、ぜひ見て行ってください。ご案内しますね。
あそこの切り開かれている部分がリフトの建設箇所です。そこだけは伐採もやむを得ないですが、これ以上はあまり伐採しない予定です。
──こうして見るとかなり上まで行くんですね。今年の秋には完成ということですが。
雪が降りだすと工事ができないので、2023年のグリーンシーズンからの使用を見据えると、今年の11月頃には完成となります。冬の営業はまだ未定ですが、スノーシューを履いて歩くスノートレッキングなど、滑走以外で活用する可能性もあります。自己責任エリアとして開ける考え方もありますが、スキー場としての責任もあるのでまだなんとも言えないところで、すみません……。
──リフトが動いていてトレッキング客は乗れるけど、スキー・スノーボードを履いていたら乗れないとか……? お預け状態がすごいですね(笑)
そうなんです。本当にすみません。ただ、その次のシーズンに向けて滑走できるように検討は重ねていくつもりです。
──今日のお話の内容は、公開して大丈夫なんでしょうか。
もちろんです。間違った情報が残ってしまわないように、ぜひ広めてください。あれだけバズってしまって、YouTubeやブログで話題にしてくれた方もいらっしゃったので。大々的に取り上げてくれた方には、これから直接お詫びのご連絡をしていくつもりです。
──ちゃんと背景を伝えればわかってもらえると思うので、今日のお話を記事にしますね! お時間いただきありがとうございました。
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白馬乗鞍温泉スキー場。小谷村の3つのスキー場の中では、横に広いファミリー向きゲレンデがある栂池、海外さながらのパウダースノーが売りのコルチナと比べると、少しだけ特長に欠ける印象かもしれません。
しかしそこには、他のどこにも負けない「ありのままの大自然」という資源がある。新しい施設を作らずとも、そこへアクセスしやすくなるリフトを1本だけかけてあげれば、それだけで十分なのでは。そんな本質的な考え方を取り戻させてもらった取材でした。リフトができる来年には、グリーンシーズンの山頂にもぜひ登ってみたいところですね。
白馬乗鞍温泉スキー場 公式サイト https://www.hakunori.com/
白馬アルプスホテル 公式サイト http://www.hakuba-alps.co.jp/
白馬乗鞍温泉スキー場 リフト新設発表のプレスリリース(訂正後) https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000101433.html